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  日刊新周南に連載中のリレートーク (2000年3月掲載)

馬耳周南風

    東川沿い

 弥生三月を迎えた。ひとつきもしないうちに花見のシーズンが到来する。河東町の自宅そばには徳山を代表する河川、東川が流れている。東川といえば花見、花見とくれば東川というくらい花見会場としての知名度はけっこう高くなったように思う。連日のように煙が立ち昇り、焼肉の香りが辺りに漂う。我が家が焼肉を食べてないのに食べた気分になるのもこの時期だ。おおむね、花見会場が集中するは「境橋」を中心に上流側は「鼓橋」、下流側は「楊柳橋」までであり、「ひがし川橋」と「岐陽橋」の間は意外と空いていることが多い。

 さて、橋のなまえをたらたらと書き並べたが、おわかりにならない方のために少々解説しておこう。市役所前の県道を東へ、この旧国道2号線にかかる橋が「ひがし川橋」である。家具店のビルとマンションが東西に建っており、道路拡幅前は異国情緒な漂う橋だったという記憶がある。この橋より下流、川の西側に花見会場と化す公園が南に向けて続いている。次なる橋が私にとってなじみの深い「岐陽橋」だ。生まれて40年何回この橋を渡ったことだろう。かえるやめだかを採った河原はもはやなく、河床が掘られて排水溝に様変わりしてしまった感がある。次なる歩行者専用の橋が「幸運橋」。サマンサ・ジャパンさんの会社が東西に並んでいる。かつてこの橋は石を渡しただけの欄干もない橋だった。今や、「幸運橋」というスマートな名前に変わっているが、元は「耕運橋」と呼ばれていたような気がする。

 河東界隈がかつて一面田んぼだった頃、旧石橋の東西には道があり牛馬が行き来しており、家具店のビル農耕中心の発想から「耕運」と呼ばれていたのではないかと推察できる。その後、耕地整理やなんやかやで地形は変わったのに橋だけは取り残されたのだろう。河川保全上架け替えは仕方ないとしても「耕運橋」という旧称は残して欲しかった気がする。そして、「鼓橋」、「境橋」、と続き旧街道(市内線)にかかる橋が「楊柳橋」である。書いてきた橋のなかで最近架け替えられていないのはこの橋だけだ。昭和35年に竣工され今年で40歳えをむかえる。個人的には今や古めかしさをだしつつあるこの橋だけは残していただきたい思う。河川管理者の方お願いします。そして最下流の橋が「昭和橋」、公園もここで終わるのだが、この公園を花見シーズンだけしかも夕方から夜にかけてだけ利用するのももったいないような気がする。気候の良いときなどフリー・マーケットなど開催してみると楽しいかもしれない。「求む!!参加者」東川沿い"のみの市"協同組合。

                                      戸倉茂雄


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