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  日刊新周南に連載中のリレートーク ( 年 月掲載)

馬耳周南風

    後進国からの脱皮は可能か?

 日本には世界に誇る伝統文化がある。また、現在も美術や建築、音楽の世界で活躍する人は数多い。そういう高いレベルの文化を生み出しながらも、わたしたち一般人の生活文化のレベルは、いまだに欧米、特にヨーロッパの国と比べると圧倒的に低いといわざるを得ない。はっきり言ってしまえば、生活文化後進国である。

 ヨーロッパの人間は個人の人格を認め、その上で公の概念を確立し見事にまちを構築している。まちにはいくつもオープンスペースがあって日々の社会生活に密着している。実際に体験すると分るが、悔しいぐらいに、彼らは圧倒的に生活を楽しむ、いきいきと生きる術を知っている。そして、そのための場を所有している。すなわち、まちにはいくつもの「気持ちのいい場所」があるのだ。

 戦後、経済的に豊かになることを優先した日本人は、結果としてモノやカネによってしか幸せになれないそんな民族に成り下がってしまった。さらに言うと、外敵の侵入を地理的条件と歴史的幸運により図らずも逃れた、「閉じた島」に住む日本人は、到って保守的でありながら、なおかつ流行にはすこぶる敏感で、メディアの審判が下れば一も二もなく拍手を送り、一気に島全体に波及するという習性を持つ。これらのことは「消費」と「流行」ということばに集約されるが、今ではこの習性が家づくりやまちづくりにも波及してしまい、よって、自分の住む家もまちも一過性の流行に流され、消費される存在としてしか扱われず、豊かな生活空間はいつまでたっても確立されないままである。

 これだけ日本が経済的に豊かになりながら、歯がいいのは日々の生活がモノによってしか満たされないことの貧しさである。そもそも、日本には昔から豊かな空間がなかったわけではない。自分の子供のころにはまだ身近に残っていたが、それらは経済発展とともに姿を消したに過ぎないのだ。そして、今では日本人の大部分がすばらしい生活空間の存在すら知らない。または忘れてしまったか、意識的に排除してしまったのだ。まちのつくりも同様で単にものを満たす考え方では生活空間のレベルはいつまでたってもヨーロッパには追いつけまい。しかし、自分も日本人であれば、白人にだけあんな贅沢をさせているのは癪である。少しでも、欧米の本質を学び、日本の文化的伝統と融合させながら日本独自の気持ちのいい空間をつくるべきだし、日本人には、まだそれをつくるための英知が残っていると信じたい。もういい加減に、流行に左右されたり消費されるだけのまちからの脱皮を考えなければならない。

 いきいきと生きる、ゆったりと時間を過ごす、気持ちのいい空間を味わう、そのための受け皿としてのオープンスペースがどうしてもまちの中に必要なのだ。この地方にどれだけのモチベーションが残っているのかははわからない。しかし、時代は確実に動いているのだ。

                                      石丸和広


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