ホーム馬耳周南風目次>石丸和広>次へ


  日刊新周南に連載中のリレートーク ( 年 月掲載)

馬耳周南風

    まちの居心地をよくするための積極的なルール

 前回、古いものをどう活かすかという話だったが、引き続き、今仕事をしている久留米の街並みから徳山の現状を考える。
 
 久留米の町の中心部は、人口20万人のまちにしては中心部の主要交通網が貧弱で、国道3号線は慢性的に渋滞し、歩道は東京並みに狭い。細い路地などは、くねくね曲がりながら、いまも情緒のある雰囲気を残しているが、建物のみは平面の複雑さがそのまま高層化してしまったため、立体的な混沌を巻き起こしている。このように、風景としても都市空間としても自分の住んでいるまちと極端に性格が違う。

 徳山のまちは、そのまちの規模の割に道が広い。整然とした区画割はこのまちの秩序を作っているといってよい。これは、戦災でまちが焼失したことと、その後の都市計画の大胆さによるところが大きい。ところが、最近は人があまり歩かなくなって広い道路はむしろ無駄になってしまった感じがする。また、整然とした区画割もあくまで平面の上でのことで、一旦建物が高層化すると、風景は秩序を失う。せっかく他のまちにはないまちの下地があるにもかかわらず、その特徴を活かしきれないまま雑草が生えるごとく街並みが荒れていく状況にある。

 では、どうしたらゆとりや秩序を維持できるのだろうか。都市計画は、社会の発展段階では道路や下水道などのインフラ整備をやっていればよかった。しかし今の日本のように、社会が成熟した状況では、機能の整備に加えて、居心地を整備する必要が出てくる。そのためにはただ道路があるだけではダメで、その道路の居心地を論じる視点がどうしても必要になる。この居心地という尺度から考えると、道路の両側に並ぶ建物の景観が重要になる。また歩く楽しさや気持ちよさをつくるためには、道路にもっとオープンスペースが必要だ。

 以前、東京の品川区で9階建て、91戸のマンションの設計を担当したときに、東京都と品川区のまちづくり条例に手を焼いたことがある。条例では、一定規模以上の建物をつくる場合に、道路に面した空地をつくり、その空地をある割合以上緑化しなければいけないというものである。設計条件というのは建て主から与えられるのが普通だが、この場合は行政からも厳しい注文があるわけで、建て主と行政の対立する2者の注文を調整しながら仕事を進めた。設計にはかなり手間がかかったが、結果として出来上がった建物は道路に面して緑があふれ、マンションの住民にとっても、道を歩く市民にとっても居心地のよいものとなった。

 この経験から考えると、徳山にはまちの居心地をよくするための積極的なルールがまだ整備されていない。建物を建てる側の好き放題で、これでは居心地は生み出せない。前回の繰り返しになるが、新たな施設の整備をする前に、今あるまちをグレードアップするための議論が熟していないということをよく考えなければいけない。

                                      石丸和広


 トップページへ