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  日刊新周南に連載中のリレートーク ( 年 月掲載)

馬耳周南風

    まちは遊園地ではない

 理不尽なことばかりが横行する世の中だが、そんな時代にあって、わざわざ50年も経過した古い家を購入して住みたいという殊勝な方がいらっしゃる。その家は壁式コンクリート造でつくられており、完成当時としてはかなりハイカラだったと想像される。しかし、実際に現地に赴いてみると、生活のスタイルや住空間の使い方が変わった現在では、もはや牢獄かと見まがうほどに息苦しい。一部屋一部屋がコンクリートの壁で囲われているために、活動的な現在の生活にはどう見ても対応できない。しかし、コストに限りがある以上、今ある構造壁を壊して大胆な補強を行うことが難しい。結果としてこの煩わしいコンクリートの壁と付き合いながらどのようにして時代にあった生活空間に改めるのか、というかなりの難問に応えることになった。場所は福岡県の久留米市市街、車なら高速で3時間、電車なら速くて2時間の距離。このような仕事を引き受ける設計者もかなりの物好きと言えるのかもしれない。

 しかしここで少し考えて欲しい。世の中はどんどん便利なものを生み出して、それに群がる人間はどんどん怠け癖がつく。楽をするのは簡単だが、その分楽しむ努力を怠ることになる。苦労するのが目に見えていたとしても、現実を乗り越える努力がなければ、一生自立した楽しみを味わうことはできないだろう。

 いま徳山のまちでは、中心市街地の活性化論として海側に目線を向ける方向性が探られている。既成市街地の再開発が面倒なために、手のかからない港湾部に目をつけたのだ。計画立案の関係者は決してそうとは言わないだろうが、結果としてはそういうことになる。市街地は手の施しようがないからと諦めるのだ。しかし、僕はコンビナートに取り囲まれた港湾部よりこの古臭くてせせこましいまちのほうが味わい深いと考えている。都会と違って建物が中低層で構成されていて、道幅とのバランスも程好く取れている。密集した街中には、ちゃんと表と裏の通りがあってかなりのバリエーションも兼ね備えている。既成市街地だからこそ持っているまちのメリハリがあって、居心地を作り出す下地がすでに確立している。言い方を代えれば、しっかりとしたまちのリアリティがあるのだ。もちろん今のままでは居心地はよくならない。だからといって、工場の回りに単なるレジャー施設をつくったところでまちのリアリティは復活しない。ましてや、補助金頼みの施設整備には必ず金のかかるメインテナンスというツケが残る。ならば、この市街地を有効利用してこの人口、この経済力でできる将来的にも手のかからないまちづくりをなぜ行わないのか?「面倒だ」とか「時間がない」という言い訳で、楽しむための努力を怠っていないか?そんなこともできないほど、人間というのは自分勝手でいいのか?再度振り返るべきチェック事項はいくらでもある。

 ヨーロッパの町の中心部ではあたりまえに存在する気持ちのいい空間が、「控えめの美学」を共有することでこのまちでも実現できるのだ。まちとは、そこに住む市民が自分たちでつくりながら、歴史を積み重ねて次の世代に伝えていくものだ。決して遊園地のような一夜の夢であってはならない。          

                                      石丸和広


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